ゆっくり草津 街道物語
2.矢橋の道
矢橋港の目印「イチョウの木」
鞭崎八幡宮と十王堂
矢橋道を琵琶湖と反対方向に向かうと、十王堂跡があります。十王堂は近松門左衛門原作の「冥途の飛脚」のモデルになった遊女梅川の終焉の地です。現在は個人宅ですが、庭に梅の古木があり、梅川は忠兵衛亡き後、この梅の花を見てひっそりと50年余りを過ごしたのでしょうか。
十王堂跡の向かいには、うっそうと茂る森に囲まれた鞭崎八幡宮があります。675年に創建したこの神社は、源頼朝が京都に上洛する途中、馬上から鞭で指し、祭神を聞いたというのが名の由来です。鞭崎八幡宮は、応神天皇・神功皇后等がまつってあり、伊勢神宮のような荘厳な神殿のつくりです。重要文化財の表門は江戸時代の膳所城南大手門を移築したもので、風格があり重厚な雰囲気が漂います。軒丸瓦や鬼瓦には膳所城当主だった本多家の家紋「右はなれ立葵」などが見られます。神社を守っている大神家は42代続き、いまもなお奉仕しておられます。
3つの道標
路地を歩くと静かな趣のある道が今も残る
再び、矢橋道を港跡方向に歩くと、浜街道との交差点に「ふれあいの塔」があります。塔には赤い線が刻まれていて、明治29年の洪水で3.7mまで浸水したことが標されています。
路地をしばらく歩くと、遊女梅川の墓と伝えられる清浄寺があります。ゴツゴツした石の感じではなく、卵を逆さにしたようななんとも小さいお墓です。人形浄瑠璃や歌舞伎が催されるときは、関係者がお参りされることもあるそうで、11月6日には、235回忌の法要が行われました。
その昔、矢橋の名産として柿もありました。石山から馳せ参じた世尊院法印という僧侶が、徳川家康に柿を献上し、その柿が甘くおいしかったことに家康が感動したことから「法印柿」と呼ばれ、矢橋の名産になったといわれています。家康に献上した柿の木がどれだったのか、今はもう定かではありません。
路地を歩き、重要文化財である石津寺に立ち寄りました。最澄が創建し、現在の本堂は足利義詮が再建したと伝えられています。県内ではこちらが唯一だという、寄棟造の本瓦葺です。石津寺もまた、歴史の重みを感じますが、門や塀もなく、日常の生活の中にこつ然と本堂だけが現れたような不思議な感じがしました。