ゆっくり草津 街道物語
3.芦浦道
芦浦観音寺の役割
『琵琶湖の水運を制するものは天下を制する』といわれた、海上交通を掌握する「湖水船奉行」の仕事をしていた芦浦観音寺は、天台宗の寺院です。芦浦観音寺は用明年間(585~587年)聖徳太子開基、秦河勝創建と伝えられています。戦国から江戸時代にかけては8代賢珍、9代詮舜、10代朝賢と信長、秀吉、家康ゆかりの三傑僧といわれ、全盛期となりましたが、5代将軍綱吉のときに船奉行を解任されました。
一般公開は春と秋で中に入ることはできませんでしたが、11000㎡の敷地には、国の重要文化財である阿弥陀堂・書院があり、観音寺文書は信長からの手紙・朱印状・天海の文書などが県の文化財に指定されていることから、歴史の上から芦浦観音寺が重要な役割を果たしていたことが伺われます。
京都や奈良まで行かなくても、琵琶湖のふもとで春夏秋冬、四季折々の芦浦観音寺を拝観できるよう、西川住職は30代にこのお寺で法灯されています。
安国寺跡
赤い鳥居の印岐志呂神社
たくさんのお地蔵さんに囲まれた片岡地蔵堂
再び浜街道を琵琶湖方面にわたり、道標を確認しながら集落の路地へと進みます。水路沿いを歩いていると水の量や流れから琵琶湖が近いことが感じられます。片岡は明治時代、自由民権運動が盛んな地で、土佐から植木枝盛を招き講演会が行われました。片岡地蔵堂は住宅の中の一角にあり、たくさんのお地蔵さんに囲まれてお堂が建っています。境内は白・ピンク・紫と色とりどりの花を咲かせる藤棚もあります。
このあたりでは毎年地蔵盆に、小さい子どもたちが各家庭からお地蔵さんにお供えをする花をいただいて回ります。その花を長老たちが生けるのだそうです。行事を通じて子どもたちと大人の役割が受け継がれていることに歴史の温かさを感じます。