ゆっくり草津 街道物語
4.南笠の道
十禅寺川に沿って歩く
老上公民館を出発し十禅寺川に沿って歩くと、時折強い風が吹き、脇にある竹やぶが音を立てて揺れます。竹に絡まる「ビナンカズラ」と呼ばれる赤い実は、蔓の樹液を整髪料に使ったことが名前の由来です。川の向こうに広がる田んぼや畑は、「草津にもまだこんな風景があった」と思わずホッとさせてくれます。
道の脇にぽつんと立つモチの木を中心に、こんもりしている槍塚は戦に使われた槍を集め、このあたりに埋めたと言われているそうです。十禅寺川は広すぎず狭すぎず、季節によってはのどかな感じさえする川です。矢橋と南笠をつなぐ風呂海道と十禅寺川が交差する芝田古墳橋で石田さんがさす指の先には南笠古墳群。江戸時代には 基もの古墳が確認されたそうです。現在は前方後円墳の1、2号基と円墳の3号基を目にすることができます。市内で現存する前方後円墳を見られるのは、この南笠古墳だけです。古墳を囲む景色はほとんど田んぼですが、数十年前までは桑畑・茶畑が一面に広がり、養蚕がさかんな地域でもありました。
石の博物館のような・・・
治田神社は「石の博物館」のような神社で、様々な石碑が集められています。昭和9年の室戸台風により崩壊した老上小学校の復興の際、講堂の靴脱ぎ石に利用された「東海道・中仙道」の道標は、四角い角の一角だけが削り取られ、生徒たちが靴を脱ぐときに使った名残が見られます。南笠を流れるもう一つの川である狼川は田上から新浜までの約5.6kmを流れます。地元に伝わる民話『狼と大亀』から「大亀川」や「狼川」、また老上郷の地名から「老上川」などと、川の名前が由来します。このことから治田神社の境内には厄除け祈念の親子の亀の石像もあります。また狼川近くのため池には昔から亀がたくさんいるそうです。
電気のない時代には、辻ごとに常夜灯に灯りがともされ、『文化文政…』と刻まれた古い常夜灯も神社の片隅にあります。これも南笠の歴史の重みを感じる一面です。
1773年に仙命尼が開祖したといわれる仙命庵は、鎌倉時代のものとされる市指定文化財「大日如来坐像」があります。7世紀末に建立された笠寺の本尊でしたが、織田信長の比叡山焼き討ちの際に地元の人が仏像を背負って逃げ、地下に隠して守ったという説話が伝えられています。本尊は江戸中期から治田神社にまつられ、明治の神仏分離により仙命庵に祀られることとなりました。
電車の窓から見えるマンポ
どこか懐かしさを残すくねくねと曲がる路地の先に浄安寺があります。浄安寺の庭には「お越懸けの石」があります。さて誰が腰をかけた石なのでしょう。『寺伝によれば、1459年、本願寺第八代目の蓮如上人が、一番弟子である金森(守山市)の道西にお出会いする途中、当寺にお越しなされました。境内の中庭にあった石におかけなられてご休憩されたといわれています。そこからこの石を「お越懸けの石」と言い伝えられ、今も中庭に現存します。』(浄安寺宝物より)。そう言われると、どこか趣のある石のような…
狼川とJRが交差するところにトンネル跡「マンポ」が残っています。明治 年の開通以来、蒸気機関車が通っていましたが、昭和 年の電化で新しい線路が整備され、「マンポ」はその役目を終えました。電車に乗って京都方面へ向かうとき、左の窓を注意して見てください。ほんのわずか、レンガづくりの立派なマンポが見えるはずです。