渋川地区が栗東町より分離編入合併
昭和29(1954)年にひとたび栗東町へ合併された(治田村大字)渋川でしたが、草津市大路井(大路)との連続性などを理由に、その後も草津市への分離合併を求める運動が続けられていました。 草津への合併を求める渋川住民約200名が渋川分町合併促進隊としてバスに分乗、県庁へ陳情に出向いたのは昭和31(1956)年3月20日のことです。
草津への合併を求める渋川住民約200名が渋川分町合併促進隊としてバスに分乗、県庁へ陳情に出向いたのは昭和31(1956)年3月20日のことでした。半年後の9月1日、分離合併が実現することになります。
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