団体インタビュー
変えることと変えないこと
14歳になれば
♪さあ もーひとおどり サンヤーレ えっ サンヤーレ サンヤーレ♪
志那の町中に威勢あるかけ声と小気味よい笛・太鼓・鉦の音が響きます。5月3日。コロナ禍による中断で3年ぶり、ユネスコ無形文化遺産登録後では初となった志那のサンヤレ踊りが志那神社など地元の神社に奉納されました。
草津のサンヤレ踊りは市内の7つの地域に古くから伝わる民俗芸能。衣装や踊り、お囃子などは地域によって異なりますが、五穀豊穣や疫病退散を願い、「サンヤレ」と歌いながら地区内を巡行するのは共通しています。ここ、志那のサンヤレ踊りは白い法被と黒帯姿、他に比べて太鼓打ちなどの動きにキレがあるのが特徴。それだけ体力も必要なので中学生から25歳くらいまでの人々が踊ります。
300年以上の歴史があるという志那のサンヤレ。戦時中とコロナ禍以外は途絶えることなく続いてきたというから驚きです。それにしても、どうやってこんなにも長い間、引き継ぐことができたのでしょう。来年、古希を迎える古川和親さんです。
「私たちの頃には青年団がありました。地元の男子は14歳になると当たり前のように青年団に入る時代でした。親も『青年団でしっかり勉強させてもらい』なんて言うくらい、自然な流れでしたね。青年団にはたくさん地元での役割がたくさんあります。お寺さんや神社の行事、道直しや川ざらえなんかもそう。青年団の若い世代が地元の生活に密着し、地域を支える大きな力だったし、若者たちもここで地元や社会のルールやマナーを学び、タテとヨコの人間関係を創っていきましたよ」
時代と共に
「サンヤレも青年団の中で引き継がれていきました。14歳で入るとすぐに太鼓・鉦・踊りなどの役割が決められ、稽古が始まります。足の開き具合から腕の角度まで先輩から手とり足とりで一から教えてもらいました。それはもう、ビシバシと厳しいものでね。正直、年上の人たちが怖かったですね(笑)。
役の数は10人くらい。毎年、新しいメンバーが入ってくるから、上の人が押し出される格好になります。すると今度は教える側にまわるわけです。卒業した人や地元の大人たちも稽古を見に来てましてね。みんな祭りが楽しみだったのでしょう。そういう時代でした」
これも時代でしょうか。全国的に青年団が衰退し、ここ志那町でも和親さんが高校生になったころに解散となりました。そこで和親さんら有志が集まり「若者会」を発足、神社の正月飾りや盆踊りなど町の大事な役割を引継ぎます。青年団という半ば強制的だった仕組みから、自発的な組織へと転換していったわけですね。
サンヤレ踊りも若者会が引き継ぎました。10歳下になる市川良彦さんは「私たちの世代も先輩たちから踊りや太鼓・笛・鉦などを教えてもらいました。時代とともに教え方も変わっていったのでしょう。そこまで厳しかった記憶はありませんね(笑)」と話します。
次へつなぐ
現在、志那町サンヤレ踊り保存会が伝承しています。今の課題は役をしてくれる若者を集めること。少子化の時代となり、昔なら毎年入ってきた14歳も今では3~4年に一人が入るという具合。当然、役の入れ替えができないので年齢が上がっても続けることになります。
10年ほど前にはいよいよ役者が揃わなくなり、男子だけで続けてきたサンヤレに女子にも参加してもらうように変えました。今年は4人の女の子が入って笛を吹いています。
「志那のサンヤレはすべて前の代からの口頭による伝承です。書いたものがない。つまりそれは正調という形がないということ。その時代、時代に合わせて少しずつ変化させてきたわけです。今の子たちは塾やクラブに忙しい。親御さんの理解も必要です。昔のような厳しさは求められない難しい時代です。むしろ楽しく地元の伝統を受け継いでもらえるよう、そこは柔軟に対応していきたいですね」