団体インタビュー
お寺という「場」を共に創っていく
「開かれたお寺」であり続けるために・・・應典院(大阪)のチャレンジ
大阪城の城砦都市として もの浄土宗のお寺が建ち並ぶ天王寺区下寺町に應典院はあります。隣にある本寺「大蓮寺」三世の隠棲所として1614年に創建されていますが、戦争の空襲で本寺とあわせて焼失しました。まずは完全焼失した大蓮寺が復興され、その後、大蓮寺創建450年記念事業として應典院を再建。1997年に鉄とガラスとコンクリートのモダンな寺院が誕生しました。ちょうど阪神・淡路大震災やオウム真理教事件の記憶も新しく、世の中が大きく変わろうとしていたころです。再建にあたっては「都市の文化装置」として地域に開き、一人ひとりが『生きる』意味を常に問い続けられる場所を目指すといった理念を掲げて、應典院は動き始めたのです。
應典院の特徴は3つあります。まずは檀家制度をもとにした会員制のNPOが運営していること、よって「お葬式はしない」と再建時に決めたこと、そして場所を開くために本堂が劇場仕様となっていることです。このような斬新な挑戦ができたのも約400軒の檀家を持つ大蓮寺が隣りにあること。應典院は言わば大蓮寺の社会貢献部門のように位置づけられ、寺子屋などの学びの側面、駆け込み寺といった癒しの側面など、かつてお寺が地域で果たしてきた役割を温故知新で担っていこうと活動しているのです。
本堂は劇場
単にお寺の「温故知新」といっても、時代が取り巻く環境も大きく変わっています。先のオウム真理教事件の際、ある信者はお寺を「風景の一部だった。心理的に遠い存在だった」と語りました。「いざ」という時の駆け込みでなく、普段から訪ねることのできる身近な寺。それにはまず現代の形にあった気軽に来られる空間としての開き方、それも多様な開き方が必要です。應典院は当時の大蓮寺副住職が映画界で活躍した人物だったこともあり、「開く」にあたっては特に文化活動に力点が置かれました。2階にある劇場仕様の本堂では演劇やコンサート、映画の上映、その他講演会やシンポジウムなど多彩な催しが繰り広げられています。また1階の研修室では定例の講座が開催され、墓地が見えるロビーは時に展示空間になります。玄関ホールはチラシや本が置かれ、情報や人々の交流の場となっています。
寺が持つ意味と価値を貫く
お寺を「開く」上で大切なのは単に場所を提供するだけでなく、共に場を創造することです。貸す側も借りる側も「お寺」でその催しがなされる意義を考え、そこに価値を込めていく、そうしたある種の緊張関係が重要です。應典院では「気づき、学び、遊び」の3つを鍵として、単に地元という意味ではなく広域的な地域とのネットワークづくりに取り組んでいます。例えば以前「ゴスペルのコンサートをしたい」という方が来られました。「異なる宗教の音楽だからダメ」ということはありません。むしろ大切な誰かを思い浮かべながら歌い、聞くのに、お寺って非常に尊い場だと思いませんか?「楽しかった」と感じてもらうだけでもいいかもしれませんが、それでは「別にお寺でなくてもよかったのでは」ということになってしまう。生と死に向き合う宗教空間が持つ意味や価値を愚直に追求するということ、いつもその軸が貫かれるように心がけています。
開き方は多様であっていい
應典院には市民が参加できる事業を企画運営することで「場」を支える應典院寺町倶楽部があります。これも開かれたお寺であり続けるために欠かせない要素となっています。つまりNPOが場を開き続けるサポーターでもあるんです。お寺とNPOの協働という新しい形で積み重ねるこれらの活動は、檀家制度に頼らないお寺の多様な開き方の一つだと思っています。
言うまでもなく寺院は宗教法人です。今、税制優遇への議論が高まっています。改めてその公益性が問われているのだと思います。お寺を「まちに開く」ことは「できるかできないか」ではなく「するかしないか」の問題。その際に、場を開く側と担う側の関係づくりが欠かせません。またそうした催しを通じて場に集う人がいてこそ、宗教空間がいのちの文化を織りなす場となります。無縁社会と言われる現代に「自分はかけがえのない誰かのおかげで生かされていること」それを実感できる場づくりに今後も取り組んでいきます。
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