団体インタビュー
「なんとかならへんか」を、なんとかする男
「なんとかならへんか」
大工さんかと思いきや
草津の元町ではちょっとした困りごとがありました。それは会館前や橋の隅にあるゴミ集積所。ネットはかけるものの、後から後からカラスが荒らしてしまう。「なんとかならへんか」そんな住民の声が届いた先が池田さんです。不要になったサッシを使って立派なゴミ集積所ができました。これでカラスだけでなく、雨の日だって安心です。あまりのデキの良さに、もとの仕事は大工さんかと思いきや、実は日本の鉄道と共に歩んできた鉄道マンでした。
生まれも育ちも、ここ草津元町の池田さんは学校を卒業して地元の木工会社を経てすぐに国鉄(JR)に就職、定年まで勤め上げました。国鉄では様々な部署を経験されました。担当業務が変わるたびに着実に技術を身につけていく池田さん。定年後は地元の工務店で第二の人生です。サッシや障子の取り付けなど、ここでも新たな技術を身につけながら、「多くの人と出会ったことが人生のプラスになった」と池田さんは振り返ります。どんな「なんとかならへんか」にも、何とかしてしまう池田さんの技術はこうして培われたんですね。
いざ独りになると
池田さんが国鉄にいた時期は日本の高度経済成長期。池田さんも正に日本の成長を支えた一人でした。当然、モーレツに仕事に追われ、生まれ育った草津に関心を持つヒマさえなかったといいます。
定年を迎え草津に戻ると、気になることが少しずつ増えてきました。古い家はなくなりマンションが建っています。道路で遊ぶ子どもたちは姿を消し、商店も減りました。なにより昔から居る人たちがずいぶんと歳を重ねていました。
「自分にできること…。」
そんなころ、池田さんに悲しいデキゴトもありました。長年連れ添った奥さんが亡くなったのです。いざ独りとなると、一日中、家にいるなんてこともあります。自分から意識して外に出なければ、そのうち出られなくなってしまうことに気づいた池田さんは、自分から近所の家を訪ねたり、町内会の役を引き受けながら気づいたものから直しはじめました。
たとえば自治会館のイス。正座がきつくなってきた高齢者用に背の低いイスを町内会で購入しましたが、4つの脚が畳を傷めてしまいます。押入れの出し入れも大変です。すべての脚に重みを分散させるためのバーを取りつけ、イスをまとめて片づけられるようキャスター付きのケース、押入れにはそれを滑らせるレールも作りました。
また近所の高齢者が毎日お参りに行く近所のお寺さん。本殿の階段が急で高齢者にはきつい。そこで段差の緩やかな階段を端に取り付けました。住職からは目隠し用の塀や掲示板の設置も頼まれました。そのうち、年老いたご近所さんからも「なんとかならへんか」といろいろ頼まれるようになりました。手すりをつけて欲しい。棚をこしらえてほしい。足継ぎ台ができないか。障子が動かない…。
高齢者を支えるのは高齢者
「頼まれたら、あるモノや安い材料で『なんとかならへんか』って考える。材料代だけ負担してもらって、手間賃はいただきません。使ってくれたら嬉しいし、喜んでもらえたらもっと嬉しい。作業に行ったときにする何気ない話も楽しいもんです。こうしていると毎日にハリが出てきます。家の中でテレビばかり見てたら体を悪くしてしまいそうだしね。」
池田さんがつくる一つひとつには使う人のことを第一に考えた愛情がにじみ出ます。丁寧な仕事ぶりには、使う人の安心感だけでなく、池田さん自身の充実した日々の様子まで伝わってくるようです。これまで仕事を通じて得たたくさんの知識や技術。それは池田さんや家族の暮らしを支え、日本の成長を支え、今ではまちのつながりを支えています。なにより、池田さんのやりがいにつながっています。