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まちサポくさつ (公財)草津市コミュニティ事業団

団体インタビュー

ゆく川の流れはとだえても

田中千秋さん

セミの声で飛び出す

田中千秋さん  草津川といえば子どものころ、特に夏の日を思い出します。今のようにクーラーなんてないから、窓は開けっ放し。家の2階で勉強していると、「ジジジ…」とアブラゼミの鳴く声が草津川から聞こえるんですよ。そんな大合唱の中で、「シャンシャンシャン…」と別のセミの声がしてね。「あっ、クマゼミだ」って家を飛び出しました。堤防まで駆け上がると、すでに近所の友だちたちが何人か。顔を見合わせて、みんなで大笑いしました。当時、この辺りではクマゼミは滅多にいなくて、どの木にいるのか、誰が先に見つけるかって競争です。遊び道具も少ない時代だから、そんなことでも立派な遊びになるんです。子どもたちはセミの声を聞き分ける耳をもっていました。

水は流れていないけど

旧草津川  意外に思われるかもしれないけど草津川は自然が豊かでした。町内での堤防の草刈りなんかは家族総出でやるくらいだから、当然、堤防の木や草むらには虫がたくさん。セミやバッタを取りましたね。キリギリスやコオロギを家へ持って帰り、鳴き声を楽しんだりしましたよ。ゴザで土手の草むらを滑り下りるのも楽しい遊びでした。自然や虫だけでなく、男の子なら缶けり・野球・ボール遊びなどもしていましたね。

琵琶湖へ続く冒険の道

旧草津川  私が草津小学校に通っていたころは、まだ第二小学校と分かれる前。大路の子どもたちも堤防を越えて通学していました。同じ草津川でも大路あたりは大路の、本町あたりでは本町の子どもたちが砂地の川底で遊んでいました。水のない草津川は、子どもたちにとって琵琶湖へと続く冒険の道でした。釣竿をもって、てくてくと琵琶湖まで釣りにも行きます。餌のミミズも途中で捕ます。そんな草津川も平成14年に廃川。永久に川に水が流れなくなると、近所の井戸まで水が出なくなりました。水がなくなってもやっぱり川。井戸も枯れてしまうんですね。

川であったことを心に刻む

旧草津川  跡地の整備が整い、春には草津川が新たな役割をもって生まれ変わります。公園として市民の憩いや集える場所となるようです。草津川は天井川。私たちのまちは川から家並みを見下せるぐらい近くにあります。近所には「昼寝姿も公園から見えるのでは」とジョークを飛ばす人もいるくらい。
にぎわいが生まれるのはうれしいことですが、騒音など地元の住民にとって困りごとが増えないかとの心配も正直なところです。この川と暮らした地元の住民が、この場所を嫌いになってしまわないように、生活している人への気遣いは忘れないでほしいです。

川の記憶

旧草津川  身近な場所として親しむためには、あの時の私たちと草津川の関わりのように「あれはダメ」「これは許可をもらってもらわないと」といった場所でなく、あの時の私たちと草津川のつながりのように集う人自身がモラルを守り、またそんなモラルが育つ場所になってもらいたい。そしてなにより、この場所にはかつて川があったこと、子どもたちの成長を願って桜を植樹した先人の思いなど、たくさんの人と川との物語があったこと、一人ひとりの川での数えきれない思い出の上に、この公園があるってことを来る人みんなの記憶として留めてもらえるような場所になってもらいたいですね。

旧草津川と堤防の写真:山元國一さん

取材・掲載

コミュニティくさつ112号 2017.3月
「ゆく川の流れは、未来へ。」より

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