団体インタビュー
未来。みんなで考えないと間に合わない。
草津川ロス
草津川跡地利用市民案作成ワークショップ。
なんとも今風な名前ですが、実はこれ、2001年のとある活動です。16年前にこの活動を始めたのが檀原弘行さんです。当時、びわこ空港計画に伴い、県では草津川の跡地を道路にする案が浮上していました。そうなると桜並木の堤防まで道路やマンションになるかもしれない…。
草津川がなくなるという喪失感に見舞われました。直感的に「それはイヤだ。でも署名を集める反対運動ではダメ。市民による代替案を出さないと」と感じたそうです。でも「市民案って言っても、どうすれば…」。馴染みのあった大学の先生や学生さんに相談し、前述のワークショップを開催することになったのです。折よく、県の助成を受けられることになったのも背中を押してくれました。
みんなが好きなわけじゃなかった川
市民と行政が一緒に考える年間8回のワークショップ。琵琶湖博物館の学芸員さんと一緒に川の魚の調査をしたり、下流にある大量の粗大ゴミに驚いたりと、檀原さん自身にも多くの気づきがあったといいます。特に「これでは草津川に対してマイナスのイメージを持つ人がいてもしかたがない」と印象が深かったとか。
一方で実際に川沿いを歩き、草花を植えて手入れをしている人や「堤防があるこの景色が好きで引っ越してきた」という人にも出会いました。
草津川が好きな人、嫌いな人、困っている人…色々な人の意見を踏まえ、道路・公園・ビオトープ案などを県に提出すると、県では廃川敷地利用計画検討協議会での検討資料として使ってくれたそうです。ちなみにこの時の協議会案では、市への移管や、全体として残しながら区分に区切って考えるなど、今の計画に近いものとなったそうです。
言うだけではダメ。檀原さんは止まりません。翌年には「天井川ストーリープロジェクト」を立ち上げ、立命館大学高田昇ゼミの学生たちや、当時、湖南農業高校の事務長をされていた樹木医さん、草津第二小学校の寺尾信一校長、地元の有志の方々とも協力しながら、約450本の堤防の桜の木を調査し、桜の寿命や病気となった樹の手入れを学んだり、引き続き川底の活用を考える場をつくってきました。
心の原風景
二者択一でも、白や黒でもなく
時代は流れます。檀原さんはあの時の市民の思いを大切にしながら市が主催する跡地利用のワークショップに参加します。一人ひとりの思いを引出し、まとめる。十数年前、無我夢中で自分がしていたことを、今回はプロの方がやっています。
「あの時、自分がしたかったことはこれだ!って思いましたよ。人と人、人と川がつながり、ともに育み育まれていくことができる可能性が見えました。
それに時代とともに物事の決め方は変えなくてはいけないとも思いました。二者択一でも、白や黒でもない。肩書きや年齢、性別で意見の強弱はなく、子どもの意見だって排除されない。誰もが気負わずに関わることができる平たい関係をつくりながら折り合いをつけていく。勇気をもって変えるべきは変え、守るべきことは守る。そんなことを学びました。」
老いも若きも
現在、檀原さんは跡地でできる活動やつながりづくりを市民がアイデアを出し合い考える「くさねっこ」運営チームのメンバーとして活動中です。「意見出しから整備まで、たくさんの税金が投入されました。みんなで考えたことが、続かないようではもったいない。場所の管理だけでなく色々な人が関わってくれる仕組みやルールを、『くさねっこ』活動で考えていかなくてはいけないと思っています」。
私たち市民一人ひとりが考えていきたい問題ですね。
インタビュー中の「どうして市民案をつくる必要があったのか」の問いに対する檀原さんの言葉で結びます。「老いも若きも、みんなで考え、みんなでやっていかないと、なんだか間に合わないって思ったんですね。」
【くさねっこ】
草津川跡地公園で行う市民活動の愛称です。
草津川跡地の整備と同時に蒔かれた市民活動の種。芽吹いた草が根を広く張っていくように、個人や様々な市民活動団体が、草津川跡地公園を利用し活動することで、人と人の交流が図られ、人と人のつながりが広がっていき、この公園が多様な市民活動の場となって欲しいという想いが込められています。 (草津川跡地整備課)