団体インタビュー
チャレンジ!野路いも復活プロジェクト
野路の芋と赤土
まずは予備知識から。「野路いも」とは野路で獲れるサツマイモのことで「野路いも」という品種があるわけではありません。野路ではかなり昔からサツマイモの栽培が盛んでした。
こういうと、野路という土地がサツマイモの栽培に適しているかのように聞こえますが、実はその逆。この辺りの土は昔から赤土と呼ばれる粘土質の重い土でした。
「水をやれば流れ、晴れが続けばひび割れます。スコップを受け入れない硬さは、収穫となると重機が必要」と話されるほどの赤土は、植物の生長にとっては厳しい環境です。そこに野路いものおいしさの秘密があります。
固い土の中で根を伸ばしていく芋は形もボコボコするし、生長にも時間がかかりますが、その分じっくりと甘味を蓄え、滋味深い味わいがあります。
「戦後の食べ物も何もない時代に育ち、おやつといってもあるのはサツマイモくらい。母がつくってくれる『いもあめ』や、わらで焼く『焼いも』を食べていました。母たちは苦労して私を育ててくれましたね。何もない時代に野路の人たちの暮らしを支え、生き延びたのはこの芋があったから」と研究会の木村さんは遠くなった記憶を話してくれました。
まちおこしのロマン
都市化。
野路は時代の流れとともに、大きく表情を変えました。赤土の上にはマンションや住宅が建ち並び、マツタケの産地だった山には工場や大学が建っています。たくさんあった芋畑や梨畑も姿を消しました。「ここもずいぶん賑やかで、便利になりました。ここで芋を育てていたことを今の人にも知ってもらいたい。なにか野路らしさを、せめて芋だけでも残せたら…そんな気持ちでした」と木村さん。こうして平成26年、草津芋栽培研究会が生まれました。
偶然、野路の一軒の農家が守ってくれていた「野路いも」が見つかったことも追い風となりました。この苗から「野路いも復活プロジェクト」のスタートです。
研究会には地元の野路と草津市農協(JA)や市、それに追分からもメンバーが集まりました。農家だけでなく、マンションや新興住宅地に移り住んできた人もいます。
数カ所の畑に20種類ものサツマイモを育て、土地にあった品種を研究しています。「決して適しているとは言い難い土に意味を見い出したことはすごいこと。それに地域の人を巻き込み、まちの歴史も含めた“まちおこし”として、このチャレンジはいずれ本物になると信じています。ロマンを感じます」。指導者的な役割をしているJAの池本さんと宇野さんは口をそろえます。
気持ちは新たにチャレンジ
活動が始まり3年。試行錯誤の日々です。その年の気候や芋の品種ごとに、肥料の種類、撒くタイミングや量も変わります。蔓のどこからでも根を下ろすサツマイモは、時々、蔓まくりをしてやらないといけません。
「勉強すればするほど難しい」と西川さんは言います。「でもね、みんなでワイワイと楽しく育てています。芋で人がつながっていく実感があるのがいいですね。道具も整っていなかった時代にこんな大変な土を相手にしていた昔の人たちの苦労も痛感もしました。気持ちは新たに、チャレンジです」
最近では地域の人から苗を求められたり、地元のスーパーで置いてもらったりと、手ごたえも感じています。サツマイモは天ぷら・煮物からスイーツまで調理次第で色々な美味しさを楽しめます。研究会では栽培だけでなく、野路いもの最も美味しい食べ方も研究中です。
夢と現実と
夢は夢として、研究会では現実もしっかりと見つめています。当面の目標は、まず野路いもが復活し、地元の人の誇りとなること。
「サツマイモといっても品種はたくさん。野路、そして草津の土地にはどの品種が向いているのか、何がおいしいのか、試し試しです。需要がある品種だけを育てていこうとも思っていません。いずれは商品化につながり、草津の土産にまでなればいいんですけどね。今はつくったイモを焼いもにして地元の萩まつりやまちなかの露店で、地元の人に味を知ってもらおうと活動しています。
今の悩みは建物がたくさん建ちすぎて畑をつくる場所がないこと。せめて家庭でも楽しめるようにと、プランターで育つ品種も研究中です」と西川さん。