団体インタビュー
げんこつおじさんのたこ焼き
子どもたちをかまう
ジャンケンおじさんと出会う
水野さんが小学生のころ、帰り道にはいつも両手で道を通せんぼする毛糸帽子のおじさんがいました。おじさん、「わしにジャンケンで勝ったら、ここを通してやるよ」。子どもたちはいつもこの「ジャンケンおじさん」と出会う帰り道をドキドキしていたとか。
「後で知ったんですが、この人は近所に住む腕の良い大工さん。
今でいう見守り活動だったのでしょう。学校からの信用も厚かったみたいです。おじさんは、毎日、子どもに関わろうとしてくれて
いたんです。これがおじさん流『子どものかまい方』だったんですね。おじさんに限らず、当時は豆腐屋さん・駄菓子屋さん・交番のおまわりさん…と、子どもに声をかけてくれる、いわゆる『かまってくれる』大人がいました。口うるさくも注意や目配りをしてくれる大人たちでした。
今の子どもたちの登下校の様子を見たとき、そんな『子どもをかまう』大人が少なくなったことに気づきました。そうだ、自分も何かで子どもたちをかまってやろう、って思ったんです。自分には何ができるだろう、って。それがたこ焼きでした。
※かまう【構う】世話を焼いたり、相手をしたりする
大辞泉より
母のお小遣い
思い立ったら吉日。車は仕事仲間に借りました。「ネギならいく
らでも畑から持って行きな」とご近所の協力をいただき、燃料屋さんも格安でプロパンガスを貸してくれました。出勤でいつも前を通っていた「出会いのひろば」の所長さんに思いを伝えると、「一度やってみたら」と快く場所を提供してくれ、保健所の許可も取りました。「わずか2週間で開店にこぎつけられたのも、皆さんや家族の理解と協力があったから」と水野さん。
ちなみに、たこ焼きは7個で「小学生10円 中学生30円 高校生50円」。ずいぶんと安いお代にしたのも理由があります。
「僕は母子家庭で育ちました。子どものころ母は仕事で忙しく、夏休みには毎日お小遣いを置いて行ってくれたんです。たしか200円。これでご飯とおやつを買うのですが、母は忙しいものだ
から時々置いていくのを忘れるんですよ。そんな日はお腹もすくし、ずいぶんと寂しい思いもしました。でも一生懸命に働いてくれている母にそんなこと言えません」
そんな水野さんも大人になり、家庭をもちました。子育ても一段落したある日、テレビで「子ども食堂」を知り衝撃を受けました。
独りでご飯を食べ、働いている親の帰りを待っている子どもたち。
そんな子どもたちのために食を囲んで子どもたちの居場所をつくる地域の大人たち。
「今の時代でもこんなことがあるのか…」。自分の過去とも重なりました。
※げんこつ【拳骨】にぎりこぶし げんこ
三省堂より
げんこつで払う
こんな経験から、このたこ焼き屋さんでは支払いにも工夫があります。子どもたちは10円玉を握りしめてワゴン車の横の箱の中に入れます。中には布が敷いてあって、チャリンの音はしません。
「今日、お金を持ってない子は、手だけを入れてもらいます。友だちが食べていて、自分だけ食べられないなんてつらいですもんね。」
この様を「げんこつを入れてもらう」とある人が例えた日から、
水野さんは「げんこつおじさん」になったのです。
最初は少なかった子どもの数も、今では平均35~40人、多い日は50人を超えることもあるとか。
食べ終えた皿のナイロン袋を新しいものに取り替えてから返却するのは、子どもたちが作ったげんこつおじさんの手間を減らすためのルールです。