団体インタビュー
70年の物語 ~このまちのページをめくる~
物語のはじまり
この長い物語の始まりは昭和25年というから、なんともスゴい話です。あの、聖徳太子が刷られた千円札が初めて発行された昭和
25年1月、婦人会を退いた女性数名が集まりました。戦後の復興とはまだ先の話で、自分たちや子どもの心にはまだ戦争の傷跡が生々しく残っていました。
「私たち自身も、もっと勉強して社会の役に立つ人間になって、若者や子どもちの良き相談相手になろう。子どもたちには本を読ませる運動を細々でも続けていこう」と、9名で「母親クラブ」を立ち上げ、各家庭から本を持ち寄り、各町に回覧する活動を始めました。
なにせ70年前。今のメンバーに当時を知る人はいませんが、記録では当時の公民館(現在の草津宿本陣)まで自転車で本を借りに行ったり、100冊を包んだ重い風呂敷を担ぎながら県の図書館(大津市)まで船で往復した様子など、当時の図書不足と本を集める苦労が記されています。
「今のように車のない時代。大津から常盤まで100冊もの本を持って船で往復するのはとっても大変だったと思います。地元の子どもの教育に熱い想いがあればこそできたのでしょうね」と北脇さん。
昭和32年には念願叶い、常盤の公民館に県の移動図書館が来るようになります。年に6回ではありましたが、これまでの図書不足や本運びといった、苦労や悩みが大きく解消されました。
ふるさとのかおり
引き続き記録から。
35年は不況に見舞われました。農閑期には多くの男女が出稼ぎに行き、本の利用が減りました。悩んだ末、地元に残っている仏教婦人会の役員さんに活動の協力をしてもらい、37年に「松葉会」として発足しました。
その後、子どもたちに本を届けるだけでなく、自らが子どもの手本となるよう率先して本を読み始め、今の「読書グループ松葉会」となったのが昭和53年のことです。
ちょうどそのころ、気がかりなことがありました。それは常盤が民話や伝説が数多く残る歴史ある地でありながら、それらが埋もれようとしていたことでした。松葉会では3年をかけて各町の古老や関係者から、地元で語り継がれてきた話を聞き取り、昭和60年に「ふるさとのかおり」第1集を発行しました。
中島さんは、子どもを連れての例会や打ち合わせに参加していた当時の様子を懐かしく話してくれました。
本から生まれた紙芝居
70年という歴史はなんと長くて重いのでしょう。松葉会の中には、子どもたちに本を届ける母の背中を見ながら育った娘が、大人になって松葉会に入ったという母娘二代にわたってのメンバーもいるとか。この「ふるさとのかおり」は、平成11年に第2集を、平成
26年には地元まちづくり協議会の協力で、2巻を合わせた復刻版の発行に至ります。
松葉会では今、先輩たちの苦労と郷土愛によって「ふるさとのかおり」に集録したお話を、今の子どもたちにも知ってもらい、未来につないでいこうと、紙芝居にして幼稚園や小学校で本の読み聞かせと併せて演じています。作成した紙芝居は現在14作。
常盤の全町内の話を一つずつ作ることが目標です。絵を描くのも、演じるのも初めてですが、子どもと地元のために頑張れるのは、70年かけて培った松葉会の伝統なのかも知れません。
見る、聞く、語る
人と地域が輝く常盤協議会では学区から一つの町内をテーマに、子どもたちが地域を学ぶ「ふるさと探検」を毎年、開催しています。ここでも活躍するのが松葉会の紙芝居。
上寺町に伝わる「デンチコたぬき」のお話では、現在でもお寺
の住職が提灯を持って檀家を回ると聞き、子どもたちはどこか
遠い世界の物語としてではなく、自分たちが暮らすまちのお話として実感するとか。
地元の物語の紙芝居には意外な反応もありました。高齢者サロンで披露すると、高齢者も「懐かしい」と盛り上がるのです。〝穴村のもんもん〟として夜泣きや癇の虫に効くことで有名だった墨灸のお話「穴村港と馬車」では、「京都や大阪、大津から穴村港までやってきた親子連れで、そりゃ賑やかやった」「広い敷地で遊びまわったなぁ」「あの松の木は今でも残ってるわ」と、口々に思い出話が出てきます。
「私たちよりちょっとお兄さん・お姉さんの先輩たちが、懐かしく聞いてくれる。喜んで当時を語ってくれることがうれしいですね」と北脇さん。
人と地域をつなぐ
安井さんは「常盤で生まれ育った私にとって松葉会は以前から親しみのある会です。自分だけではできない体験や、知らない世界を
教えてくれる本が人生にとって大切なように、本を通じて人と地域をつないでくれる松葉会は、地元にはなくてはならない存在。メンバーは高齢化してきていますが、ふるさとを大切に思う人たちが跡を継いでくれることを願っています」と話してくれました。
松葉会の70年は、ふるさとを思う人々が代わるがわる、一枚、また一枚とページをめくってきた歴史でした。
あなたは今日、どんな本を手にとりますか。
*デンチコたぬき
上寺の西蓮寺に背中が赤く、腹が灰色のまるで「デンチコ」を着たようなタヌキが住みついていた。かしこいタヌキで、村人が荷車の重さに難儀していると後ろから押してくれたり、法事から帰ってきた住職の提灯の明かりが見えと出迎えにくるなど村人に愛されていた。時が経った今も、夜の法事には住職が、提灯を持って参られます。
(ふるさとのかおり(復刻版)より要約抜粋)